2021年1月13日水曜日

「あたりまえの歌」

コロナ休みの間に

生まれた詩をふたつ。


『あたりまえの歌』


あたりまえが嬉しい。

あたりまえが愛しい。

あたりまえが懐かしい。

あたりまえを諦めない。

あたりまえをあたりまえにする。

あたりまえは、あたりまえだ。



『キミとボクとあたりまえと』

ボクのあたりまえは、ボクのあたりまえ。

キミのあたりまえは、キミのあたりまえ。

みんな違って、みんないい。

だから、

キミのあたりまえを聴かせてくれよ 。

自分の言葉でね。

ボクのあたりまえも聴いておくれよ。

平たい心でさ。

重なるところが見つかるかもしれない。

キミのあたりまえをボクの言葉でボクは聴き、

ボクのあたりまえをキミの言葉でキミは聴く。

面白いな。愉快だな。ビックリだ。

あたりまえはあたりまえだけれど

あたりまえじゃないんだな。


まだまだ続きそうですがコロナを畏れても、
過度に怯えず、できる限り、
今まで通りの暮らしをしたいと思う。
マスクは不慣れで、似合わなくて、かまわない。
手をきれいに洗うのは、気持ちいいから。
換気をよくするのはその方が、気持ちいいから。
互いに息がかからないように少し気をつける。
不都合があれば、工夫する。
これまでだってそうしてきた。
いつものことだ。それだけの事。
ちょっと長くなりそうだけどね。


かえるくんの誕生日、みんなで。




*******


「59点ママでもいいじゃない!」のご愛読をありがとうございました。

連載はこれで終了です。

続きは、永野むつみの講演や舞台、Facebook、劇団ひぽぽたあむのHPで発信されます!

どうぞ引き続きお楽しみください。


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2020年6月2日火曜日

笑いの種

6月。梅雨入り目前。いかがお過ごしですか。
学校再開に、親も子も先生も喜びつつ、何かと大変な中にいらっしゃるのでしょうね。 どうぞ愉快な学校生活でありますように、と祈るばかりです。

次男が小学校に入学してひと月くらい経った頃でしょうか、
夜、歯が抜けたんですね。
保育園っ子でしたから、そうした「育ちの出来事」は保育園で済ませ、
親には結果報告のようなことが多かったような気がします。
おまけに担任の先生は、息子曰く「歯抜きのベテラン先生」でしたから
何本かは先生のお世話になっていました。
けれどその夜、
ひとりでに抜けたことが子も母も嬉しくて、
やっぱり小学生になったからだねえ、と喜び合いました。

息子は学校の先生に見せなくては、と、
箱根で買い求めた寄木細工の箱に、 綿を敷き、宝物を置くように入れ、
抱きかかえて翌日登校しました。
保育園では歯の抜けた日は英雄のような扱いで、話題の中心、人気者になれたのでしょう。
すっかりその気で出かけた息子が、
帰宅早々力なく、でも確信を持った声で言いました。
「お母さん、学校って勉強ばっっっかりするところなんだよ」と。
「あれ、歯を持ってったんじゃないんだっけ」と私。
「先生ね、ちょっとだけ見て、はん、て。はん、て言っただけなんだ」と目を伏せました。
「そうなの……」
そのあと自分がどんな言葉を返したかもう覚えていませんが、
保育園と学校の違いを身に染みて感じ取った出来事でした。
子も親もね。

そのころ保護者会などで先生にお目にかかると、
もっぱら、スタートの遅さを指摘されていました。
「2時間目の算数になるとやっと1時間目の国語のことに興味を示すんですよ。何とかなりませんかしら」と。
生まれた時から何かとゆっくりな人でしたから、
それに私にとっては二人目の子育てですし、
そんなこともあるだろうと私は驚きはしませんでしたが、
沢山の子どもたちを指導しなければならない先生のお立場を思えば、
ご迷惑さまですね、としか言えず、
先生のご指摘を我が子に伝えることはしませんでした。
他人が決めた時間割に沿って生きるという事は、なかなか難しいことですもの。(このコロナ騒ぎで、改めてわかったことの一つですね)

その子がです。
数年後のことですが、ちょうど今くらいの季節に
「あっ、これ、バイウゼンセンだ」
と叫んだことがありました。
そして大笑い。
梅雨の時期を前に私は、押入れの中身を全部取り出して、大掃除をしていました。
振り向くと、息子は「すごいね。これ考えた人」とも。
見ると、押入れ用湿気取りの弁当箱のような除湿剤を手に、ためつすがめつ。さらに大笑い。
網状のフタの網の模様が梅雨前線の形なんだそう。
「へええ。梅雨前線なんてよく知ってるね」と私。
「だって学校で習ったもの」
「へええ。作った人嬉しいだろうね。あなたに気が付いてもらえて。 母さんなんか気にもかけなった」
「洒落てるねえ」とさらに嬉しそうな息子。
「学校っていいところだね。学校は笑いの種をくれるところなんだ。
知らないと笑えないもの」と私。

その日を境に、学校から帰ると、
「今日も笑いの種を貰ったよ」と、
学校で習ったことを話してくれる遊びが流行りました。
「へええ。」
私が感心すると息子は得意げで、本当に嬉しそうでした。
「へええ。」を聴きたい、母を喜ばせたい一心だったのだろうと思います。
知らないことを知って心が動く。心が動いたことを誰かに話す。
「へええ」と受けとめられ同じように心が動く。
子にとっても母にとっても心楽しい時間でした。
ときには、不眠で眠れずにいる私に「お母さんが読んだことのない本を読んであげる」と、
国語や社会の教科書を読んでくれたりもしました。

「点数の話はしなかったけれど、勉強したことはよく話したね」
大人になった息子がそう言い、本当にそうだったなあと今思います。
学校は、その時期の子どもたちにとって、多くの時間とエネルギーを注ぐところです。
多忙な母と息子にとっては、学校での勉強も互いを繋ぐ糸のひとつになるのでは、 と思うのです。

帰ってきた我が子にふわりとたずねてみたらどうでしょうか。
「今日なんか面白い勉強した?」


「コロナ見舞い」をいただきました。
「かえるくんとこぐまくんとなかまたち」

絵と文 高木一佳さん(おやこ劇場ゆめひろば)

2020年5月14日木曜日

どうせばればれなんですから

♪会えない時間が 愛育てるのさ。目をつぶればきみがいる~♪

「自宅待機」を強いられている友人たちに、
励ましの想いでこの歌を届けたりしているのだけれど、
ほんとはね、私にとっては切ない歌なんだ。

息子が小さかったころ、よくこの歌を歌っていた。
いま口ずさんでも、懐かしいだけではくくれない、切ない記憶がよみがえる。

24歳。初めての子どもが生まれ、100日目から仕事に出た私。
仕事にお手本はなく、何もかにも手探り。
一生懸命。無我夢中。
子育てももちろん初めてのこと。
教育学専攻なのに何もわかっちゃいない。

息子が泣くとおたおたし「泣かないで、あなたが泣くと母も哀しい」と、
ひたすら「言葉」で訴える「母」でしたね。
抱っこすればいいと分かったのは数か月たったころからだったかも。
「子どもが子どもを育てている」と私の身内からはよく言われたよ。
誰が見ても危なっかしい暮らしぶりだったんでしょうね。

そして、なのに、かな、だから、かな、
「仕事一番。2番自分。3番夫。4番息子」
と公言してたんだよね。
「だって息子は私の人生では、あと入りなんですもの」とも。
ああああ、できることならこの言葉、全部拾い集めて自分の口に、腹に押し戻したい!
息子にはどんな風に届いていたんだろう、この言葉。

そう言いながら、でも私は息子が大好きでした。
観ていると興味深くて、へええと感心したり感動したり。
何よりも、ただ生んだだけの私を、疑うことなくまっすぐな目で見つめてくれる息子!
あああ、こんな風に何も問わず、疑わず、認め、必要としてくれる人に これまで出逢ったことがあるだろうか。
唯一無二の愛、滅私の愛。
息子の視線は、ときに痛く切なく、自分のふがいなさに刺さった。
「そんなに信じないで私を」と言い、夫にたしなめられたりもした。
それでも「子ども一番」とは言えない私。

ひたすら時間が足りない。余裕がなかった。
だから私一人で息子は育てられない。 息子の育ちに必要なもの、無いもの、足りないものは借りよう、助けてもらおうと決めた。
小さな息子には相談なしでね。
「舐めるように可愛いがる」は姑に、 「世話焼きの優しいお母さん」は私の姉にお任せした。
仕事先の仲間や若いスタッフ、ご近所さん等々、 沢山のおとなたちに、沢山かわいがってもらい、育ててもらった。
息子も、そして私も。
沢山のおとなとの出会いは、いずれ息子が思春期を迎え、親に絶望する日が来ても、
おとな全体には絶望しないだろうという期待も母にはあったんだよね。

そして歌った。
♪会えない時間が 愛育てるのさ、目をつぶれば君がいる~♪

気が付くと年長さんになる頃には、少しくらいの熱があっても、
「一人で大丈夫。お母さんは仕事に行って」と言う人になっていた。
私の仕事を良く知っていたからね。
仕事優先の私を支えてくれた。
時間に追われるおとなの暮らしぶりに必死でついてきてくれた。
我が子と言うより我が仲間。
まるで「小さなおとな」。
ごめんな。 子どもは親を選べないんだよねえ。

6年遅れで次の息子を授かりましたが、自分で言うのもなんだけど、 ずっとましなお母さんになってたと思うの。
それは「小さな仲間」との6年間の暮らしのおかげなんだと思うの。

その後もずっと、初めの息子の「初めて」は親の私の「初めて」。
息子が私に親としてするべきこと、してはいけないことを身をもって教えてくれた。
私を「おかあさん」にしてくれた。

一緒に育つ私はとても幸せだったけれど息子はどうだったのだろう。
親の都合で振りまわしてしまったという思いがずっとあって、
彼が一人暮らしを始めたころにかな、どうしても謝りたくて謝ったんだ。
これも親の身勝手なふるまいだけれどね。
「大好きだったけれど、愛し方が間違ってたかもしれない」と。

そうしたら息子がいったんだ。
「ぼく知ってたよ。
だって、ぼくがテーブルの上に置いておいた草を、
お母さん、コップに水はって挿しててくれたでしょ。
だから、
ぼく、独りぼっちじゃないって知ってたよ。」

涙が出た。
ふたりで越えた大事件や出来事は山のようにあったのに、
息子が私の愛を信じてくれたのはこんなささやかな出来事からなんだ。

そうなんだ。
小さな人たちは私たちが思っているよりずっと賢い。
幸せになる力をすでに持っている。

子どもは親を選べないけれど、自分で育つ力を持っている。
一緒に暮らし、私たちを観て感じて必要なものを自分でつかむ力を持っている。
暮らしはそういう力を持っている。

だから私たちはそのことを信じて今を、のびやかに正直に生きればいい。
まずは一人の人間として。
どうせ、ばればれなんだから。


まっすぐ立つシロツメクサ。
西新宿の花伝舎にて。



命がけで働く医療従事者の皆さま
休みたくても休めない職種の皆さま。
ありがとう。おかげさまです。








2020年4月21日火曜日

ご飯作りはアートな展開で

お久しぶりです。
みなさん、このコロナ騒動の中いかがお過ごしですか?

人と集い、触れ合い、語り合うことをなりわいにしている私などは、
「三密自粛」と言われると、羽をもがれた蝶のように、飛ぶことも、 身動きすることもできず、弱るばかりです。
4月5月は全滅。6~8月の、公演・講演・ワークもキャンセルや 無期延期の知らせが届き始め、コロナで命を落とすのか餓死するのかという 究極の2択を迫られているという現実でもあります。

けれど、こんな無収入無期限休暇はこれまでの人生で体験したことはなく、
「さて今日は何しようかなあ」と目覚める朝は、
バタバタと追いまくられて 暮らしてきた身には、それなりに、意味のある時間になっています。
今までやりたくてもやれなかったこと、後伸ばしにしてきたことなど、
やり残してきたことを片っ端から、つまり「やりたいこと」からやっています。  

でも小さい人や、注文の多い夫などを抱えている方は、 こんなわけにはいかないでしょうね。

例えば、一日3回ご飯を作る仕事は思いの他時間を食うものです。
冷蔵庫には何があったっけ、夕べは魚だったから今夜は、、、
と 頭のどこかにいつもご飯のことがある。
限られた食費で、いつも「おいしいね」と言ってもらうための努力。

ご飯作りが得意な方には無縁な悩みかもしれませんが、
そうでもない方にはそれが、たいそう重荷になっているものです。
ここがご飯作りしたことのない人には解ってもらえないところですね。

ご飯の支度というのは、台所での調理だけではないのよ!と叫びたくなる。
献立プラン・買い物・収納・下ごしらえ・調理・盛り付け・配膳・片づけ・ 食器洗い・食器乾燥・食器収納等々。
さらに、食事中の「お代わり」「取り皿は?」「お醤油」「私はソース」などなど。
そのたびに立ったり座ったり。
「おいしいね」などと言っている暇もない方もいるのでは?
もう!いい加減にして!と爆発寸前の方もいらっしゃるのではないかしら。

そこで私からのささやかな提案です。
まず仕事を自分の中で細かに分けて、家族に、爆発じゃなくて、「提案」というか 「お願い」というか、「誘い=いざない」はどうですか?
初めからべき論で行くより、ハードルを下げて、 割と楽しいね、割と簡単だね、と体験してもらうことから 始めるのはいかがでしょう。

細かく分けると、小さな人でも、不慣れな人でもやれることがあります。

まずは、
「ご飯よーと言ったら自分お茶碗とお箸を持って行って」
「今日のご飯は〇〇ちゃんが決める日」と献立をまかせる。
さやえんどうのすじをとるとか、盛り付けとか、いろいろ具体的な仕事が沢山。
手仕事は心を落ち着かせます。
うんざりするほどの時間がある今、ご飯作りの愉しさを味わってもらうチャンスだと思うのです。

だから初めは、じょうず、へたは、あまり問わないでね。
片目つぶって見逃して、まずはやったという事実だけを喜び感謝しましょう。

お手伝いは、家族のとりわけお母さんの笑顔をつくります。
自分のしたことが誰かの笑顔を作るという体験も大事なことです。
大好きな人を大事にするって、自分が動いて何かをする、ってことだと体験する。
そうしたら、
ありがとう。助かるわー、と言葉惜しみしないで言いましょうよ。

ご飯作りができるという事は、自立の一歩。一人でも生きていけるという自信を手にすること。
自由にのびやかに生きる根っこの力を手に入れるという事でもありますね。

だけど、だからこそ、決して「これはあんたのためでもあるんだから」などと説教しないでね。
それは、愉しさを半減させるし、やる気を殺ぐ一番のタブーです。

ここはひとつ、教えるのではなく、
相手を信じて、感じとってもらうという 「アートとしての展開」になさるのはどうでしょう!  



公式発表新型コロナウイルス感染症数10807名2020年4月20日現在



ケーキ作りにわくわくドキドキ。
人形劇「チップとチョコ」より。
 


2020年1月18日土曜日

小さな人

「未来のことは考えない」
「ボク、未来のことは考えないことにする」
「未来は死だからね」

突然息子がそういいました。
30数年前のこと、私の誕生日を間近に控えたある日のことです。
息子は保育園の年長さん。

驚く私にかぶせるように、
「だってボクが大人になったころ、お母さんはおばあさんになって、そして死んじゃうんでしょ」
息子はそう言って涙ぐみました。

「だからボクはもうこれから、未来のことは考えない。今日のことだけ考えて生きることにする」
静かで確かな決意表明でした。

そうなんだ。そうだね。それがいいね。

息子の言葉はちゃんと覚えているのに、私がどんな言葉でそれに応じたのか、覚えていません。
ただ、ただただいとおしくて抱き締めたことだけは覚えています。

たった5年しか生活していない「小さな人」の哲学。
あああ、この人は仲間だと、一緒に生きる大事な仲間の一人だと心から思った瞬間のひとつです。

小さな人を侮ってはいけません。
私は息子たちとの暮らしのなかで、
人は人を信じ愛することができるのだということを体験し、学びました。

それまでの人生のなかでも、両親を含め家族に、親戚に、友人に、いろんな人の愛のなかで生きてきたのだと思いますが、
息子の愛は容赦なく真っ直ぐで、私に何も問わない。
その事に驚きました。
こんなふうに愛されたことがあるだろうか。
産んだだけなのに。

ありがとう、息子たち。

おかげさまで私は昨年末に70歳になりました。


トケイソウ。
時計の文字盤に似た花をつけるので
この名がつきました。

2019年12月28日土曜日

誕生日

沢山のお祝い事のなかで私は誕生日が一番好きです。
自分のも他の人のも。

今我が家には、我が家でご飯を食べてくれた人に「良かったら書いてください」とお願いする“お誕生日ノート”もあるくらいです。
ときどき開いては、あ、今日はあの方が生まれた日ね、と愉しみます。

私は12月31日生まれの6人兄弟の末っ子。
「あなたは特別よ」と姉たちは言いますが、たいていケーキで祝ってもらった気がします。
クリスマスの時期ですからね。

小さいころ、私の父は学校に勤め、母が独りで小さな酒屋を切り盛りしていました。
6人兄弟に加え、住み込みで店を手伝ってくださる方もいましたから、結構大家族。
一人一人の誕生日を覚えているのも大変だったと思いますが、母は母のやり方で祝ってくれました。

母の口ぐせは「お客になって、お客になってもらうの」。
クリスマスになると、町の何軒かのお菓子屋さんからケーキが届きました。
そのときにたぶん一緒に頼んでくれたのでしょう。クリスマスのほかに誕生日にもケーキを!
みんな貧しかった時代のお話です。

それはそれで嬉しかったのですが、一番心に残っているのは、
「今日は⚪⚪ちゃんの誕生日だから、店にある好きな缶詰、なんでも食べていいよ」
と母が言ってくれる日。
嬉しくて嬉しくて目がくるくるしました。
忙しくて、準備できなかったのでしょう。今はその切なさもわかります。
幼い私は、ミカンの缶詰にするか赤貝にするか、たいそう悩んだことを今でも覚えています。

おとなになって離れて暮らすようになってからは、
自分の誕生日は母の「出産記念日」だったのだと気づき、「おめでとう」と「ありがとう」は、私のほうから届けるようになりました。

息子という存在を得てからは、
ひとりの息子は「何か欲しいものはないか?」と訊いてくれたり、
もう一人の息子は「誕生日だから好きなだけしゃべっていいよ」と電話をくれたりします。
どちらのプレゼントもかけがえのないものです。

70歳の誕生日を数日後に控え、しみじみと幸せの何たるかをかみしめながら。




挿絵が美しい365日のメモリアルブックを
お誕生日ノートに。
 
 

2019年11月24日日曜日

「受けとめる力を信じて」 ――人形劇を観る前に

上演へのご依頼をいただいたとき、大人と一緒にご覧になるという場合には、
私のほうから「聴いて欲しいお話があります」と大人向けの事前講演会をお願いをすることが多いかな。
とりわけ人形劇『かえるくん・かえるくん』は、
人形劇との初めての出逢い=アートス タートとしてお取り上げいただくことの多い作品。
近頃は、小さな人はもちろん、大人の皆さんにとっても「初めての人形劇」とい うことも増えていますから。

「どうして?」 「観る前にお話を聞いちゃったらたら愉しみがなくなっちゃうんじゃないの?」
大丈夫です。
人形劇への期待が膨らむのと同時に、一緒に観る小さい人たちの様子を愉しむと いう、もう一つの素晴らしい体験の入り口が開かれること請け負います。
「我が子再発見!」
小さな人たちの受け止める力、すでに持っている力の確かさに心動かされること でしょう。

けれど、大人の観客のすべての皆さんに事前にお話を聞いていただくのはなかな か難しい。
そこで、小さなエッセーを、会場入り口に立て掛けておいたり、配布したりしています。
ここに載せさせていただきますね。
随分前に書いたものですけれど、ぜひお目通しくださいませ。



「受けとめる力を信じて」

客席が急にざわつくときがあります。
『かえるくん・かえるくん』の友だちとの別れのシーンです。

ドラマとは関係のない話をしだす子どもや、
さっきまで子ども席に一人で座っていたのに、おかあさんのところにつーっと寄って行く子ども。
お母さんの胸やひざに顔をうずめてしまう子どもも。

「一番いいところなのに」
「さっきまであんなに集中して観ていたのに」
「あれ、飽きちゃったのかな」
大人は不安になったり心配したり。

でも大丈夫。
たぶんドラマに飽きたのではなく、むしろ心いっぱいかえるくんのことを心配してくれているのでしょう。

小さな人たちは、
<居ても立ってもいられない>ときは<居ても立ってもいられない>と
からだで表現するようです。

そんなときはただ抱きとめてください。
どうぞ言葉で慰めないでください。

そして彼らが、
自分の意志で、舞台のほうへからだを向けなおすのを待ってあげてください。

芝居は、年齢を問わず、観客一人一人に等しくメッセージを届けるものなのです。

ときに大人の助けも得ながら、
劇場空間を自分の意志で生きること、
二つの目、一人の人格、新しい市民として生きていることを
見守ってほしいと思います。

小さな人たちにとって一番最初に接する文化は、
お母さんであり家族なのだということの意味を近ごろとみに感じています。

子育ての術が何か他にあるように思われがちなのですが、
子育てでまず問われるのは、大人がどんな文化のなかに身を置くかということではないのでしょうか。



『かえるくん・かえるくん』
かえるくんは、森の中でお友だちに出会いますが……。