2017年5月24日水曜日

どの子にも「よそのおばさんの」人垣を。

「面白いねえ、そのヘロヘロ線」

よそのお子には本気でそう言えるのに、
「もっと太く描こうか」
我が子の画くヘロヘロ線に、思わず声をかけたりする。

なぜだかよそのお子には暖かく、肯定的でいられる。

「うちの子おしやべりで」
とおっしゃる方には
「ハキハキしていて素敵」
と。

「モタモタするんです」
には
「じっくり取り組む方なのね」
と。

「人見知りで臆病なんです」
には
「慎重なんですよね」
と。

そう、責任がないからね。
いいところしか見えない。

我が子には、何をやっても、何かしら注文を付けたり、
誉めた後でさえ
「今度はもっとがんばろうね♪」
などと励まし、 際限がない。

親だからね。
期待と責任があるからね。

しかしふと我が身に当てはめてみる。

もし一緒に暮らす相方にそう言われ続けたらどうだろう。

何をやっても、もっと、もっと、と励まされ続ける暮らし!
いやあ堪らないなあ。

でも、ともすると我が子には、そうしてるよね、悪気なく。

そんな時、
のんびりと屈託なく我が子に
「いいねえ」
って言ってくれるよそのおばさんの存在はありがたい。
ある意味、我が子と比べているからよく見ているし、 嘘じゃないんだなその言葉。

「まんまでいいよ」
責任がないから言える言葉を持っている「よそのおばさん」が
我が子の周りにいてくれるって、
うんと素敵なことなんじゃないかな。

母にも子にも。



新潟でのワークショップにて。

2017年5月8日月曜日

キャッチボールとピンポンと

「なんでそんな言い方するの!?」
と、
日々の暮らしのなかで、突然、腹が立ったり悲しくなったりすることがあります。

そして、私ははっとします。
その直前の、私の言葉のきつさや失礼さに。

そうなんです。
会話は、キャッチボールでもありますが、ピンポンでもあるんですね。

強い玉が返ってきたら、その前の自分の玉を思い出してみる。
相手はこちらの強い玉に、ただただラケットを当てただけ、だったりする。
打ち返すというより、当て返しただけ、だったりする。

キャッチボールは、相手の玉を一旦うけとり、手のなかで握り直して、自分らしいやり方で投げ返す。
ピンポンは、そうはいかない。
下手なひとほど、考えている余裕もなく、「とりあえず」打ち返す。

だからね、ほら、
「あんなこと言って」
と怒る前に、傷つく前に、
その前の自分の玉がどうだったか、にも思いを馳せてもいいよね。

それから、
玉を握りかえて、
自分の方からキャッチボールに切り替えてもいいよね。


端午の節句のお飾りを折り紙で。
S・Tさん作。