2017年6月29日木曜日

贅沢はいかが

梅雨のある日、雨の中それぞれ傘をさして、歩いて登園する幼稚園に講演に行きました。
「わ、きれい」
色んな傘が信号機の横で揺れています。
私は園長先生の迎えの車の中から、その様子を眺めていました。
雨の登園は大変だろうなと思いながら、いいなあ、贅沢だなあ、こういうの大事だよねと、思いました。

近頃、人形劇を観に来てくださる小さな人たちの中に、お家と公の場との区別がついていないんじゃないかな、と感じるお子さんがいます。
すぐに寝転んだり、大声で話したり。
そんなとき私はどうやってこの会場にいらしたのか、と気になります。
車かな、電車かな、自転車かな、と。
そして、多分車に<乗っけられて>おいでになっているんじゃないかと推測します。

大人の私たちも、飛行機移動が続くと、あれ、今どこだっけと、今いるところがわからなくなったりします。
ひと眠りしている間に札幌や博多についてしまうのですもの。
「思えば遠くに来たもんだ」
と、からだが納得できていないのです。

ましてや小さな人。
移動が早すぎて、からだが公のところに来たんだ、と納得できてないのでは、と思うのです。

「靴はいて、ジャリジャリ道を歩いていくと、急に車ブンブン道にでて。
へんな臭いと思って歩いていると、足元にふあっと暖かい風、ラーメンやさんの室外機だって。
角を曲がるとまた鼻につん。
焦げた臭いだなと僕は思うのに、ママは急にゆっくり歩きになって、良い香りって。コーヒー屋さんだって。 
そこまでいったらもう少しなんだ。 草ぼうぼうのお庭が見えて。 
もういいよ、とママが言うから、ママの手を離してぼく走ってきたんだ」

こんな風に手間隙かけて移動してきたら。
頭も体も心も一つになって、
「思えば遠くに来たもんだ」
と、
ここはお家ではない別なところなんだと、納得できるのではないのかしら。

そして、そんな体験は、大きくなったらきっと、贅沢な時間だったなあと、懐かしく喜びをもって思い出せるのではないかしら。


かえるくんがいっぱい。
札幌子ども劇場連絡会の小さな人たちからのプレゼント。

2017年6月15日木曜日

すれ違いもまたたのし


少し離れた駐車場に車を停めて、帰宅する途中でのことです。
小走りの、年長さんくらいの男の子と、そのお父さんとおぼしき人が私を追い越していきました。

「お兄ちゃん、まってえ」
振り向くと、2歳か3歳のお嬢さんがママと手をつないで走ってきます。
そして
「ママも走って!」
と。
ママはたぶん、
いつもより大股になってお嬢さんのスピードに合わせていたのでしょうが、
お嬢さんには伝わらず。
お兄ちゃんに追い付けないのはママのせいだと言わんばかり。

道を譲りながら、思わず私が吹き出すと、ママもにっこり。
いつもこうなんです、と目が言ってるみたい。

スピードの問題ではなくて、急いで走っているようにして欲しい、
ってことなんだね、
自分と「おんなじ」に。

素朴でまっとうなお願いと、
だから、私も急いでいるでしょ、というママの思いとが
少しだけすれ違う。

素敵だな。
私も若いとき、こんなやり取りしてたんだろうな。

懐かしさも混じりこんだほあんとした心持ちに。
初夏の涼やかな風の中のできごとです。


ふるさと山形から季節のたより。