2020年6月2日火曜日

笑いの種

6月。梅雨入り目前。いかがお過ごしですか。
学校再開に、親も子も先生も喜びつつ、何かと大変な中にいらっしゃるのでしょうね。 どうぞ愉快な学校生活でありますように、と祈るばかりです。

次男が小学校に入学してひと月くらい経った頃でしょうか、
夜、歯が抜けたんですね。
保育園っ子でしたから、そうした「育ちの出来事」は保育園で済ませ、
親には結果報告のようなことが多かったような気がします。
おまけに担任の先生は、息子曰く「歯抜きのベテラン先生」でしたから
何本かは先生のお世話になっていました。
けれどその夜、
ひとりでに抜けたことが子も母も嬉しくて、
やっぱり小学生になったからだねえ、と喜び合いました。

息子は学校の先生に見せなくては、と、
箱根で買い求めた寄木細工の箱に、 綿を敷き、宝物を置くように入れ、
抱きかかえて翌日登校しました。
保育園では歯の抜けた日は英雄のような扱いで、話題の中心、人気者になれたのでしょう。
すっかりその気で出かけた息子が、
帰宅早々力なく、でも確信を持った声で言いました。
「お母さん、学校って勉強ばっっっかりするところなんだよ」と。
「あれ、歯を持ってったんじゃないんだっけ」と私。
「先生ね、ちょっとだけ見て、はん、て。はん、て言っただけなんだ」と目を伏せました。
「そうなの……」
そのあと自分がどんな言葉を返したかもう覚えていませんが、
保育園と学校の違いを身に染みて感じ取った出来事でした。
子も親もね。

そのころ保護者会などで先生にお目にかかると、
もっぱら、スタートの遅さを指摘されていました。
「2時間目の算数になるとやっと1時間目の国語のことに興味を示すんですよ。何とかなりませんかしら」と。
生まれた時から何かとゆっくりな人でしたから、
それに私にとっては二人目の子育てですし、
そんなこともあるだろうと私は驚きはしませんでしたが、
沢山の子どもたちを指導しなければならない先生のお立場を思えば、
ご迷惑さまですね、としか言えず、
先生のご指摘を我が子に伝えることはしませんでした。
他人が決めた時間割に沿って生きるという事は、なかなか難しいことですもの。(このコロナ騒ぎで、改めてわかったことの一つですね)

その子がです。
数年後のことですが、ちょうど今くらいの季節に
「あっ、これ、バイウゼンセンだ」
と叫んだことがありました。
そして大笑い。
梅雨の時期を前に私は、押入れの中身を全部取り出して、大掃除をしていました。
振り向くと、息子は「すごいね。これ考えた人」とも。
見ると、押入れ用湿気取りの弁当箱のような除湿剤を手に、ためつすがめつ。さらに大笑い。
網状のフタの網の模様が梅雨前線の形なんだそう。
「へええ。梅雨前線なんてよく知ってるね」と私。
「だって学校で習ったもの」
「へええ。作った人嬉しいだろうね。あなたに気が付いてもらえて。 母さんなんか気にもかけなった」
「洒落てるねえ」とさらに嬉しそうな息子。
「学校っていいところだね。学校は笑いの種をくれるところなんだ。
知らないと笑えないもの」と私。

その日を境に、学校から帰ると、
「今日も笑いの種を貰ったよ」と、
学校で習ったことを話してくれる遊びが流行りました。
「へええ。」
私が感心すると息子は得意げで、本当に嬉しそうでした。
「へええ。」を聴きたい、母を喜ばせたい一心だったのだろうと思います。
知らないことを知って心が動く。心が動いたことを誰かに話す。
「へええ」と受けとめられ同じように心が動く。
子にとっても母にとっても心楽しい時間でした。
ときには、不眠で眠れずにいる私に「お母さんが読んだことのない本を読んであげる」と、
国語や社会の教科書を読んでくれたりもしました。

「点数の話はしなかったけれど、勉強したことはよく話したね」
大人になった息子がそう言い、本当にそうだったなあと今思います。
学校は、その時期の子どもたちにとって、多くの時間とエネルギーを注ぐところです。
多忙な母と息子にとっては、学校での勉強も互いを繋ぐ糸のひとつになるのでは、 と思うのです。

帰ってきた我が子にふわりとたずねてみたらどうでしょうか。
「今日なんか面白い勉強した?」


「コロナ見舞い」をいただきました。
「かえるくんとこぐまくんとなかまたち」

絵と文 高木一佳さん(おやこ劇場ゆめひろば)

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