朝の9時から夜の9時までひたすら手縫いします。これがなかなか愉快です。
頭(かしら)の部分から縫い始めますが、当然、仕事の早い人とゆっくりな人がいます。
仕事の早い人に合わせて、
「さあ、次の仕事=ボディの縫い方を説明します」
と私。
まだ頭が終わっていない人は「えっ、もう?」という顔をしますが、
気づかない振りをして、「さあ、一旦手を止めてご覧になって」と。
「へえ」とか、「そうなんだあ」とか、相づちをうちながら皆さん真顔。
真剣に聴いてくださる。
全員注視の中、ひと通り説明。
終わると皆さん再びそれぞれの仕事に戻ります。
しばらくすると、やっと頭が縫い終わった人が突然こう言います。
「ボディはどう縫うんですか?」あるいは「次はどこを縫うんですかあ?」
「ひえっ。先ほど説明しましたよね」の言葉を飲み込んで、
「ボディですよ」
と私。
「へええ」「そうなんだあ」
まるで初めて聴くようなそぶり。のどか。屈託がない。
そうなんです。
自分が直面しない限り、あらかじめの説明なんぞ、見てるようで見てない、聴いているようで聴いていない。筒抜け状態。
もちろん悪意なんぞはない。
結果として、三人参加者がいれば三回。十人いれば十回説明をすることになる。
丁寧に、初めて語るように語る。それが仕事だからね。
どうやら人は、その場その時にならないと、見ても聴いても、頭に残らないことが多いらしい。
ひとつ終わって、さあ次っ、と思った時に、あれ、これなに? と。
やっと「わがこと」になる。
直面したときに初めて目が開き耳が通る。
小さい人たちも同じではないのかしら。
「さっき言ったでしょ!」
「何度言ったらわかるの!」
昔からしつけは、し続けること、とよく言われますが、回数ではなくて、どうも、言うタイミングがありそうです。
関心がそこにないときは、無駄とは言わないまでも、届いていないことが多いのでは?
歩き出したとたんの「転ぶよ」(まだ転んでないでしょ)
スプーンを持ったとたんの「こぼさないでね」(まだ食べてもいないってば)等など。
むしろ、よかれと思っての、前もっての忠告は、
小さいひとのためと言うより、大人の独りよがり?! というか、精神安定剤?
――なにか言いたい。
――だったら、忠告じゃなくてもいいよね。
「気持ちいいね」とか
「おいしいかな」とか。
指図、命令、忠告じゃない言葉。 探してみませんか。
指図、命令、忠告は「ここだっ」ってときにとっておいて。
小さな人たちはもちろん、大人たちも楽しい気分になるんじゃないかな。
どうかしら。
ちなみに 「一生もんの人形をつくろう」ワークは、
途中で私の作った粗末な昼食をとり、出来上がったらお誕生会をします。
もちろんその日生まれ出た人形たちのね。
なぜか、人形を作っていたのに長い旅に出掛けていたような気分になるから不思議。
「一生もんの人形をつくろう」ワークショップの締めくくりは 人形のお誕生会 〈ケーキは井澤智子さん・伊東しのぶさん作〉 |
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