2019年5月15日水曜日
「おおめにみてくださいな」
「何でけんかするの!せっかくみんなでお芝居楽しんできたのに」
親子で観劇の後。
帰り道や帰宅してから、些細なことでけんかが始まったりする。
「さっきは芝居観ながら泣いたり笑ったり。
ああうちの子も、他人の痛みや悲しみや喜びがわかるようになってきたんだなって、ママは、そのことに感動してたのに……。
お金と時間をかけて観るほどのことはなかったかしら」
などと、お母さん、嘆き悲しまないで。
普段ならもめないようなことでもめてしまうのは、
彼らの目が、耳が、心が、感じやすく、かしこくなっている、耕されて柔らかくなっている、
同時に傷つきやすくなっているということなのでは?
いつもなら聞き逃せることが聞き逃せない。
目につく。気に障る。そしてぶっつかる。
芝居なんか観たから!
それは、ほんとは素敵なことなんじゃないのかな。
芝居を観て、登場人物に心を寄せ、自分とおんなじだと思ったり、自分ならそうはしないな、と突き放したり。
わくわくしたりゆらゆらしたりざわついたり。
なかなか言葉にできない心持ち。
それは、とても幸せな気分や穏やかな心持ちの時もあるけれど。
同時にある意味、安心の反対側、ある意味穏やかの真反対の心持ちになることでもあるのではないかしら。
どーんと心に届き、心が動くのですからね。
本人ももて余していたりする。
でもいいんじゃないかなあ、こういうの。
ゆらゆら万歳。
利口な人生より、耳聡く目明るき人生を生きたいと私は願う。
けんかは、素朴なコミュニケーション。
揺れや荒れのまんまでぶっつけられる相手がいるということも素敵。
吸ったら吐きたくなるものです。
けんかは、心が動いた結果だと、
人間への関心と、表現への入り口だと、
おおめにみてくださいな。
平穏無事の、のっぺらぼうの人生よりも、よっぽど愉快だと、私は思うの。
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