2019年10月8日火曜日

夏が終わり涼しくなると、いつも心が痛むこと



夏が終わり涼しくなると、胸がチクチク痛みます。
あぁあと心底後悔するのです。
いつも表向きには、人生反省はするが後悔はしない、などと豪語している私なのですが。

涼しくなった頃に、まるで夏の疲れがどっと溢れ出たように、保育園っ子の我が息子は「とびひ」になるのです。
3、4年続いたでしょうか。
 当然保育園はお休みしなければなりません。
私は代替えがききにくい仕事をしていましたから、本当に困ってしまいました。
親は二人。夫はあてにならないし、親戚は遠いし、近所のどなたかに預かっていただこうにも、その方にもお子さんがいるとうつってしまうし……。
オロオロうろうろ。

そんなときに「病児保育」という言葉に行き当たりました。
息子の保育園にもそんな部屋があればいいなあ。
病院で短期入院というのはどうだろう。
こんな思いをしているのはたぶん私だけじゃない。仲間を募り、「病気の子どもを預かってくれるシステムを作ってください」そう保育園や行政にお願いしたらどうだろうか。
本気で考えました。

けれど小さい人が大きくなるのは思いの外早いものです。

そのつど、親切な友人知人に助けられ、結局、行動に移す前に息子は卒園し、「とびひ」を患うこともなくなり、
現金なことに「病児保育」への私の関心も薄れてしまいました。


けれど今になってざわざわと心が痛むのです。
正確に言えば、
大事なことにやっと気がついた、というところでしょうか。

「病児保育」への要求は、「仕事を休めない親」の切実な思いから始まっていましたが、「もう一人の当事者」の息子の気持ちには、思いが至ってなかった。
病気をしているときくらい、せめて親に、そばにいて欲しいと願っていたのじゃないかしら、と。

いつもはいいよ、一人で頑張るよ。
だけどね、と。

そうなんだ。
もう一人の当事者は、「物言わぬひとびと=言えぬひとびと」だった!
「病児保育」は、 一歩間違えば、大人本位の、子ども不在の取り組みになりかねない。

私が要求すべきは、病気とりわけ伝染性の病気を患ったときは、親のどちらかが休めるという、親の働き方見直しだったのではないかと悔やむのです。
子育ての時間と経済と身分の保障。
子どもが病気のときには「子どもにとって一番よいやり方」を選べる、そんな世の中になるよう動くべきだった。

子どもをさずかるその時期は、親にとっても仕事に邁進したい、邁進出来る時期でもあって、私なども仕事大好き、仕事一番人間の一人でした。
しかし、大事なことは小さな息子にとっても、人生の根っこを作る一番大事な時期だった! ということ。
親の方も子育て期は、長い人生の中のほんのいっときの出来事なのだということ。

よその国では女性の首相が産休をとったり、議会に子連れで出席したり、議長が抱っこしながら議会を進めたり。
「私の子ども」から「私達の子どもたち」に。
周りの大人たちみんなが、次世代を育んでいるのだと懐を広げ、具体的に支え合うことが形になってきている国もある。

 私の息子も6ヶ月の育休がとれたり、ずいぶん子育ても社会化し進化してきました。
この国だってやれば出来る!

子育てが終わったから気づけたこと。
婆ちゃんと呼ばれるようになったから解ったことを胸に抱いて、さあ、後悔を反省にかえてもうひとがんばりしましょうか。




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「昼は夏なのに、夕凪は秋だよ」
写真とことば 松山マキ








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