自分のも他の人のも。
今我が家には、我が家でご飯を食べてくれた人に「良かったら書いてください」とお願いする“お誕生日ノート”もあるくらいです。
ときどき開いては、あ、今日はあの方が生まれた日ね、と愉しみます。
私は12月31日生まれの6人兄弟の末っ子。
「あなたは特別よ」と姉たちは言いますが、たいていケーキで祝ってもらった気がします。
クリスマスの時期ですからね。
小さいころ、私の父は学校に勤め、母が独りで小さな酒屋を切り盛りしていました。
6人兄弟に加え、住み込みで店を手伝ってくださる方もいましたから、結構大家族。
一人一人の誕生日を覚えているのも大変だったと思いますが、母は母のやり方で祝ってくれました。
母の口ぐせは「お客になって、お客になってもらうの」。
クリスマスになると、町の何軒かのお菓子屋さんからケーキが届きました。
そのときにたぶん一緒に頼んでくれたのでしょう。クリスマスのほかに誕生日にもケーキを!
みんな貧しかった時代のお話です。
それはそれで嬉しかったのですが、一番心に残っているのは、
「今日は⚪⚪ちゃんの誕生日だから、店にある好きな缶詰、なんでも食べていいよ」
と母が言ってくれる日。
嬉しくて嬉しくて目がくるくるしました。
忙しくて、準備できなかったのでしょう。今はその切なさもわかります。
幼い私は、ミカンの缶詰にするか赤貝にするか、たいそう悩んだことを今でも覚えています。
おとなになって離れて暮らすようになってからは、
自分の誕生日は母の「出産記念日」だったのだと気づき、「おめでとう」と「ありがとう」は、私のほうから届けるようになりました。
息子という存在を得てからは、
ひとりの息子は「何か欲しいものはないか?」と訊いてくれたり、
もう一人の息子は「誕生日だから好きなだけしゃべっていいよ」と電話をくれたりします。
どちらのプレゼントもかけがえのないものです。
70歳の誕生日を数日後に控え、しみじみと幸せの何たるかをかみしめながら。
挿絵が美しい365日のメモリアルブックを お誕生日ノートに。 |
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