2021年1月13日水曜日

「あたりまえの歌」

コロナ休みの間に

生まれた詩をふたつ。


『あたりまえの歌』


あたりまえが嬉しい。

あたりまえが愛しい。

あたりまえが懐かしい。

あたりまえを諦めない。

あたりまえをあたりまえにする。

あたりまえは、あたりまえだ。



『キミとボクとあたりまえと』

ボクのあたりまえは、ボクのあたりまえ。

キミのあたりまえは、キミのあたりまえ。

みんな違って、みんないい。

だから、

キミのあたりまえを聴かせてくれよ 。

自分の言葉でね。

ボクのあたりまえも聴いておくれよ。

平たい心でさ。

重なるところが見つかるかもしれない。

キミのあたりまえをボクの言葉でボクは聴き、

ボクのあたりまえをキミの言葉でキミは聴く。

面白いな。愉快だな。ビックリだ。

あたりまえはあたりまえだけれど

あたりまえじゃないんだな。


まだまだ続きそうですがコロナを畏れても、
過度に怯えず、できる限り、
今まで通りの暮らしをしたいと思う。
マスクは不慣れで、似合わなくて、かまわない。
手をきれいに洗うのは、気持ちいいから。
換気をよくするのはその方が、気持ちいいから。
互いに息がかからないように少し気をつける。
不都合があれば、工夫する。
これまでだってそうしてきた。
いつものことだ。それだけの事。
ちょっと長くなりそうだけどね。


かえるくんの誕生日、みんなで。




*******


「59点ママでもいいじゃない!」のご愛読をありがとうございました。

連載はこれで終了です。

続きは、永野むつみの講演や舞台、Facebook、劇団ひぽぽたあむのHPで発信されます!

どうぞ引き続きお楽しみください。


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2020年6月2日火曜日

笑いの種

6月。梅雨入り目前。いかがお過ごしですか。
学校再開に、親も子も先生も喜びつつ、何かと大変な中にいらっしゃるのでしょうね。 どうぞ愉快な学校生活でありますように、と祈るばかりです。

次男が小学校に入学してひと月くらい経った頃でしょうか、
夜、歯が抜けたんですね。
保育園っ子でしたから、そうした「育ちの出来事」は保育園で済ませ、
親には結果報告のようなことが多かったような気がします。
おまけに担任の先生は、息子曰く「歯抜きのベテラン先生」でしたから
何本かは先生のお世話になっていました。
けれどその夜、
ひとりでに抜けたことが子も母も嬉しくて、
やっぱり小学生になったからだねえ、と喜び合いました。

息子は学校の先生に見せなくては、と、
箱根で買い求めた寄木細工の箱に、 綿を敷き、宝物を置くように入れ、
抱きかかえて翌日登校しました。
保育園では歯の抜けた日は英雄のような扱いで、話題の中心、人気者になれたのでしょう。
すっかりその気で出かけた息子が、
帰宅早々力なく、でも確信を持った声で言いました。
「お母さん、学校って勉強ばっっっかりするところなんだよ」と。
「あれ、歯を持ってったんじゃないんだっけ」と私。
「先生ね、ちょっとだけ見て、はん、て。はん、て言っただけなんだ」と目を伏せました。
「そうなの……」
そのあと自分がどんな言葉を返したかもう覚えていませんが、
保育園と学校の違いを身に染みて感じ取った出来事でした。
子も親もね。

そのころ保護者会などで先生にお目にかかると、
もっぱら、スタートの遅さを指摘されていました。
「2時間目の算数になるとやっと1時間目の国語のことに興味を示すんですよ。何とかなりませんかしら」と。
生まれた時から何かとゆっくりな人でしたから、
それに私にとっては二人目の子育てですし、
そんなこともあるだろうと私は驚きはしませんでしたが、
沢山の子どもたちを指導しなければならない先生のお立場を思えば、
ご迷惑さまですね、としか言えず、
先生のご指摘を我が子に伝えることはしませんでした。
他人が決めた時間割に沿って生きるという事は、なかなか難しいことですもの。(このコロナ騒ぎで、改めてわかったことの一つですね)

その子がです。
数年後のことですが、ちょうど今くらいの季節に
「あっ、これ、バイウゼンセンだ」
と叫んだことがありました。
そして大笑い。
梅雨の時期を前に私は、押入れの中身を全部取り出して、大掃除をしていました。
振り向くと、息子は「すごいね。これ考えた人」とも。
見ると、押入れ用湿気取りの弁当箱のような除湿剤を手に、ためつすがめつ。さらに大笑い。
網状のフタの網の模様が梅雨前線の形なんだそう。
「へええ。梅雨前線なんてよく知ってるね」と私。
「だって学校で習ったもの」
「へええ。作った人嬉しいだろうね。あなたに気が付いてもらえて。 母さんなんか気にもかけなった」
「洒落てるねえ」とさらに嬉しそうな息子。
「学校っていいところだね。学校は笑いの種をくれるところなんだ。
知らないと笑えないもの」と私。

その日を境に、学校から帰ると、
「今日も笑いの種を貰ったよ」と、
学校で習ったことを話してくれる遊びが流行りました。
「へええ。」
私が感心すると息子は得意げで、本当に嬉しそうでした。
「へええ。」を聴きたい、母を喜ばせたい一心だったのだろうと思います。
知らないことを知って心が動く。心が動いたことを誰かに話す。
「へええ」と受けとめられ同じように心が動く。
子にとっても母にとっても心楽しい時間でした。
ときには、不眠で眠れずにいる私に「お母さんが読んだことのない本を読んであげる」と、
国語や社会の教科書を読んでくれたりもしました。

「点数の話はしなかったけれど、勉強したことはよく話したね」
大人になった息子がそう言い、本当にそうだったなあと今思います。
学校は、その時期の子どもたちにとって、多くの時間とエネルギーを注ぐところです。
多忙な母と息子にとっては、学校での勉強も互いを繋ぐ糸のひとつになるのでは、 と思うのです。

帰ってきた我が子にふわりとたずねてみたらどうでしょうか。
「今日なんか面白い勉強した?」


「コロナ見舞い」をいただきました。
「かえるくんとこぐまくんとなかまたち」

絵と文 高木一佳さん(おやこ劇場ゆめひろば)

2020年5月14日木曜日

どうせばればれなんですから

♪会えない時間が 愛育てるのさ。目をつぶればきみがいる~♪

「自宅待機」を強いられている友人たちに、
励ましの想いでこの歌を届けたりしているのだけれど、
ほんとはね、私にとっては切ない歌なんだ。

息子が小さかったころ、よくこの歌を歌っていた。
いま口ずさんでも、懐かしいだけではくくれない、切ない記憶がよみがえる。

24歳。初めての子どもが生まれ、100日目から仕事に出た私。
仕事にお手本はなく、何もかにも手探り。
一生懸命。無我夢中。
子育てももちろん初めてのこと。
教育学専攻なのに何もわかっちゃいない。

息子が泣くとおたおたし「泣かないで、あなたが泣くと母も哀しい」と、
ひたすら「言葉」で訴える「母」でしたね。
抱っこすればいいと分かったのは数か月たったころからだったかも。
「子どもが子どもを育てている」と私の身内からはよく言われたよ。
誰が見ても危なっかしい暮らしぶりだったんでしょうね。

そして、なのに、かな、だから、かな、
「仕事一番。2番自分。3番夫。4番息子」
と公言してたんだよね。
「だって息子は私の人生では、あと入りなんですもの」とも。
ああああ、できることならこの言葉、全部拾い集めて自分の口に、腹に押し戻したい!
息子にはどんな風に届いていたんだろう、この言葉。

そう言いながら、でも私は息子が大好きでした。
観ていると興味深くて、へええと感心したり感動したり。
何よりも、ただ生んだだけの私を、疑うことなくまっすぐな目で見つめてくれる息子!
あああ、こんな風に何も問わず、疑わず、認め、必要としてくれる人に これまで出逢ったことがあるだろうか。
唯一無二の愛、滅私の愛。
息子の視線は、ときに痛く切なく、自分のふがいなさに刺さった。
「そんなに信じないで私を」と言い、夫にたしなめられたりもした。
それでも「子ども一番」とは言えない私。

ひたすら時間が足りない。余裕がなかった。
だから私一人で息子は育てられない。 息子の育ちに必要なもの、無いもの、足りないものは借りよう、助けてもらおうと決めた。
小さな息子には相談なしでね。
「舐めるように可愛いがる」は姑に、 「世話焼きの優しいお母さん」は私の姉にお任せした。
仕事先の仲間や若いスタッフ、ご近所さん等々、 沢山のおとなたちに、沢山かわいがってもらい、育ててもらった。
息子も、そして私も。
沢山のおとなとの出会いは、いずれ息子が思春期を迎え、親に絶望する日が来ても、
おとな全体には絶望しないだろうという期待も母にはあったんだよね。

そして歌った。
♪会えない時間が 愛育てるのさ、目をつぶれば君がいる~♪

気が付くと年長さんになる頃には、少しくらいの熱があっても、
「一人で大丈夫。お母さんは仕事に行って」と言う人になっていた。
私の仕事を良く知っていたからね。
仕事優先の私を支えてくれた。
時間に追われるおとなの暮らしぶりに必死でついてきてくれた。
我が子と言うより我が仲間。
まるで「小さなおとな」。
ごめんな。 子どもは親を選べないんだよねえ。

6年遅れで次の息子を授かりましたが、自分で言うのもなんだけど、 ずっとましなお母さんになってたと思うの。
それは「小さな仲間」との6年間の暮らしのおかげなんだと思うの。

その後もずっと、初めの息子の「初めて」は親の私の「初めて」。
息子が私に親としてするべきこと、してはいけないことを身をもって教えてくれた。
私を「おかあさん」にしてくれた。

一緒に育つ私はとても幸せだったけれど息子はどうだったのだろう。
親の都合で振りまわしてしまったという思いがずっとあって、
彼が一人暮らしを始めたころにかな、どうしても謝りたくて謝ったんだ。
これも親の身勝手なふるまいだけれどね。
「大好きだったけれど、愛し方が間違ってたかもしれない」と。

そうしたら息子がいったんだ。
「ぼく知ってたよ。
だって、ぼくがテーブルの上に置いておいた草を、
お母さん、コップに水はって挿しててくれたでしょ。
だから、
ぼく、独りぼっちじゃないって知ってたよ。」

涙が出た。
ふたりで越えた大事件や出来事は山のようにあったのに、
息子が私の愛を信じてくれたのはこんなささやかな出来事からなんだ。

そうなんだ。
小さな人たちは私たちが思っているよりずっと賢い。
幸せになる力をすでに持っている。

子どもは親を選べないけれど、自分で育つ力を持っている。
一緒に暮らし、私たちを観て感じて必要なものを自分でつかむ力を持っている。
暮らしはそういう力を持っている。

だから私たちはそのことを信じて今を、のびやかに正直に生きればいい。
まずは一人の人間として。
どうせ、ばればれなんだから。


まっすぐ立つシロツメクサ。
西新宿の花伝舎にて。

*

命がけで働く医療従事者の皆さま
休みたくても休めない職種の皆さま。
ありがとう。おかげさまです。








2020年4月21日火曜日

ご飯作りはアートな展開で

お久しぶりです。
みなさん、このコロナ騒動の中いかがお過ごしですか?

人と集い、触れ合い、語り合うことをなりわいにしている私などは、
「三密自粛」と言われると、羽をもがれた蝶のように、飛ぶことも、 身動きすることもできず、弱るばかりです。
4月5月は全滅。6~8月の、公演・講演・ワークもキャンセルや 無期延期の知らせが届き始め、コロナで命を落とすのか餓死するのかという 究極の2択を迫られているという現実でもあります。

けれど、こんな無収入無期限休暇はこれまでの人生で体験したことはなく、
「さて今日は何しようかなあ」と目覚める朝は、
バタバタと追いまくられて 暮らしてきた身には、それなりに、意味のある時間になっています。
今までやりたくてもやれなかったこと、後伸ばしにしてきたことなど、
やり残してきたことを片っ端から、つまり「やりたいこと」からやっています。  

でも小さい人や、注文の多い夫などを抱えている方は、 こんなわけにはいかないでしょうね。

例えば、一日3回ご飯を作る仕事は思いの他時間を食うものです。
冷蔵庫には何があったっけ、夕べは魚だったから今夜は、、、
と 頭のどこかにいつもご飯のことがある。
限られた食費で、いつも「おいしいね」と言ってもらうための努力。

ご飯作りが得意な方には無縁な悩みかもしれませんが、
そうでもない方にはそれが、たいそう重荷になっているものです。
ここがご飯作りしたことのない人には解ってもらえないところですね。

ご飯の支度というのは、台所での調理だけではないのよ!と叫びたくなる。
献立プラン・買い物・収納・下ごしらえ・調理・盛り付け・配膳・片づけ・ 食器洗い・食器乾燥・食器収納等々。
さらに、食事中の「お代わり」「取り皿は?」「お醤油」「私はソース」などなど。
そのたびに立ったり座ったり。
「おいしいね」などと言っている暇もない方もいるのでは?
もう!いい加減にして!と爆発寸前の方もいらっしゃるのではないかしら。

そこで私からのささやかな提案です。
まず仕事を自分の中で細かに分けて、家族に、爆発じゃなくて、「提案」というか 「お願い」というか、「誘い=いざない」はどうですか?
初めからべき論で行くより、ハードルを下げて、 割と楽しいね、割と簡単だね、と体験してもらうことから 始めるのはいかがでしょう。

細かく分けると、小さな人でも、不慣れな人でもやれることがあります。

まずは、
「ご飯よーと言ったら自分お茶碗とお箸を持って行って」
「今日のご飯は〇〇ちゃんが決める日」と献立をまかせる。
さやえんどうのすじをとるとか、盛り付けとか、いろいろ具体的な仕事が沢山。
手仕事は心を落ち着かせます。
うんざりするほどの時間がある今、ご飯作りの愉しさを味わってもらうチャンスだと思うのです。

だから初めは、じょうず、へたは、あまり問わないでね。
片目つぶって見逃して、まずはやったという事実だけを喜び感謝しましょう。

お手伝いは、家族のとりわけお母さんの笑顔をつくります。
自分のしたことが誰かの笑顔を作るという体験も大事なことです。
大好きな人を大事にするって、自分が動いて何かをする、ってことだと体験する。
そうしたら、
ありがとう。助かるわー、と言葉惜しみしないで言いましょうよ。

ご飯作りができるという事は、自立の一歩。一人でも生きていけるという自信を手にすること。
自由にのびやかに生きる根っこの力を手に入れるという事でもありますね。

だけど、だからこそ、決して「これはあんたのためでもあるんだから」などと説教しないでね。
それは、愉しさを半減させるし、やる気を殺ぐ一番のタブーです。

ここはひとつ、教えるのではなく、
相手を信じて、感じとってもらうという 「アートとしての展開」になさるのはどうでしょう!  



公式発表新型コロナウイルス感染症数10807名2020年4月20日現在



ケーキ作りにわくわくドキドキ。
人形劇「チップとチョコ」より。
 


2020年1月18日土曜日

小さな人

「未来のことは考えない」
「ボク、未来のことは考えないことにする」
「未来は死だからね」

突然息子がそういいました。
30数年前のこと、私の誕生日を間近に控えたある日のことです。
息子は保育園の年長さん。

驚く私にかぶせるように、
「だってボクが大人になったころ、お母さんはおばあさんになって、そして死んじゃうんでしょ」
息子はそう言って涙ぐみました。

「だからボクはもうこれから、未来のことは考えない。今日のことだけ考えて生きることにする」
静かで確かな決意表明でした。

そうなんだ。そうだね。それがいいね。

息子の言葉はちゃんと覚えているのに、私がどんな言葉でそれに応じたのか、覚えていません。
ただ、ただただいとおしくて抱き締めたことだけは覚えています。

たった5年しか生活していない「小さな人」の哲学。
あああ、この人は仲間だと、一緒に生きる大事な仲間の一人だと心から思った瞬間のひとつです。

小さな人を侮ってはいけません。
私は息子たちとの暮らしのなかで、
人は人を信じ愛することができるのだということを体験し、学びました。

それまでの人生のなかでも、両親を含め家族に、親戚に、友人に、いろんな人の愛のなかで生きてきたのだと思いますが、
息子の愛は容赦なく真っ直ぐで、私に何も問わない。
その事に驚きました。
こんなふうに愛されたことがあるだろうか。
産んだだけなのに。

ありがとう、息子たち。

おかげさまで私は昨年末に70歳になりました。


トケイソウ。
時計の文字盤に似た花をつけるので
この名がつきました。

2019年12月28日土曜日

誕生日

沢山のお祝い事のなかで私は誕生日が一番好きです。
自分のも他の人のも。

今我が家には、我が家でご飯を食べてくれた人に「良かったら書いてください」とお願いする“お誕生日ノート”もあるくらいです。
ときどき開いては、あ、今日はあの方が生まれた日ね、と愉しみます。

私は12月31日生まれの6人兄弟の末っ子。
「あなたは特別よ」と姉たちは言いますが、たいていケーキで祝ってもらった気がします。
クリスマスの時期ですからね。

小さいころ、私の父は学校に勤め、母が独りで小さな酒屋を切り盛りしていました。
6人兄弟に加え、住み込みで店を手伝ってくださる方もいましたから、結構大家族。
一人一人の誕生日を覚えているのも大変だったと思いますが、母は母のやり方で祝ってくれました。

母の口ぐせは「お客になって、お客になってもらうの」。
クリスマスになると、町の何軒かのお菓子屋さんからケーキが届きました。
そのときにたぶん一緒に頼んでくれたのでしょう。クリスマスのほかに誕生日にもケーキを!
みんな貧しかった時代のお話です。

それはそれで嬉しかったのですが、一番心に残っているのは、
「今日は⚪⚪ちゃんの誕生日だから、店にある好きな缶詰、なんでも食べていいよ」
と母が言ってくれる日。
嬉しくて嬉しくて目がくるくるしました。
忙しくて、準備できなかったのでしょう。今はその切なさもわかります。
幼い私は、ミカンの缶詰にするか赤貝にするか、たいそう悩んだことを今でも覚えています。

おとなになって離れて暮らすようになってからは、
自分の誕生日は母の「出産記念日」だったのだと気づき、「おめでとう」と「ありがとう」は、私のほうから届けるようになりました。

息子という存在を得てからは、
ひとりの息子は「何か欲しいものはないか?」と訊いてくれたり、
もう一人の息子は「誕生日だから好きなだけしゃべっていいよ」と電話をくれたりします。
どちらのプレゼントもかけがえのないものです。

70歳の誕生日を数日後に控え、しみじみと幸せの何たるかをかみしめながら。




挿絵が美しい365日のメモリアルブックを
お誕生日ノートに。
 
 

2019年11月24日日曜日

「受けとめる力を信じて」 ――人形劇を観る前に

上演へのご依頼をいただいたとき、大人と一緒にご覧になるという場合には、
私のほうから「聴いて欲しいお話があります」と大人向けの事前講演会をお願いをすることが多いかな。
とりわけ人形劇『かえるくん・かえるくん』は、
人形劇との初めての出逢い=アートス タートとしてお取り上げいただくことの多い作品。
近頃は、小さな人はもちろん、大人の皆さんにとっても「初めての人形劇」とい うことも増えていますから。

「どうして?」 「観る前にお話を聞いちゃったらたら愉しみがなくなっちゃうんじゃないの?」
大丈夫です。
人形劇への期待が膨らむのと同時に、一緒に観る小さい人たちの様子を愉しむと いう、もう一つの素晴らしい体験の入り口が開かれること請け負います。
「我が子再発見!」
小さな人たちの受け止める力、すでに持っている力の確かさに心動かされること でしょう。

けれど、大人の観客のすべての皆さんに事前にお話を聞いていただくのはなかな か難しい。
そこで、小さなエッセーを、会場入り口に立て掛けておいたり、配布したりしています。
ここに載せさせていただきますね。
随分前に書いたものですけれど、ぜひお目通しくださいませ。



「受けとめる力を信じて」

客席が急にざわつくときがあります。
『かえるくん・かえるくん』の友だちとの別れのシーンです。

ドラマとは関係のない話をしだす子どもや、
さっきまで子ども席に一人で座っていたのに、おかあさんのところにつーっと寄って行く子ども。
お母さんの胸やひざに顔をうずめてしまう子どもも。

「一番いいところなのに」
「さっきまであんなに集中して観ていたのに」
「あれ、飽きちゃったのかな」
大人は不安になったり心配したり。

でも大丈夫。
たぶんドラマに飽きたのではなく、むしろ心いっぱいかえるくんのことを心配してくれているのでしょう。

小さな人たちは、
<居ても立ってもいられない>ときは<居ても立ってもいられない>と
からだで表現するようです。

そんなときはただ抱きとめてください。
どうぞ言葉で慰めないでください。

そして彼らが、
自分の意志で、舞台のほうへからだを向けなおすのを待ってあげてください。

芝居は、年齢を問わず、観客一人一人に等しくメッセージを届けるものなのです。

ときに大人の助けも得ながら、
劇場空間を自分の意志で生きること、
二つの目、一人の人格、新しい市民として生きていることを
見守ってほしいと思います。

小さな人たちにとって一番最初に接する文化は、
お母さんであり家族なのだということの意味を近ごろとみに感じています。

子育ての術が何か他にあるように思われがちなのですが、
子育てでまず問われるのは、大人がどんな文化のなかに身を置くかということではないのでしょうか。



『かえるくん・かえるくん』
かえるくんは、森の中でお友だちに出会いますが……。
 

2019年11月7日木曜日

一人百色

島根県の幼稚園での観劇会でのことです。

三歳児から五歳児まで50人くらいかな。
作品は「ふたりのお話」。

いつものように五歳児さんが一番前に。そして、四歳児さん、三歳児さん。
いつもと違うのは、客席を縦に二つに分けたこと。
半分が園児席。残りの半分が大人席。
そう、
五歳児さんのかたまりと、その親御さんのかたまりが、並んで座ったわけです。

そうしたらね……、
素敵なことが起こったの!

観劇後のお父さんお母さんとの交流会で、
どの親御さんも
「我が子がこんなに笑う子だったとは知らなかった」
と口々に。

いいでしょ❤

「初めて人形劇を観ました」という方がほとんどでしたが、
親御さんは舞台も楽しんでくださりながら、
時々身を乗り出したり、背を伸ばしたりして、我が子の姿を観ていたのね。

「ふたりのお話」は、
進行係のおばあさんが客席に向かって話しかける、私の劇団ひぽぽたあむでは珍しい作品。

「人形劇は好きですか?」とか
「皆さんが一番好きな季節はいつですか?」 とか客席に聴く。
客席からの応えも洒落ていて、
そのやり取りでまた笑っちゃう。

五歳児も三歳児も大人も、
笑う笑う。喋る喋る。

私は思いました。
親御さんの席を、小さな人たちの隣にしてよかったな。
親御さんはやっぱりわが子の様子も観たいんだな、
とね。

かたまりの中のわが子を、ね。

そして言いました。
「親御さんといるときの顔は、親御さんといるときの顔で、全部じゃないんだね。
よそでは違う顔ももってる。
おとなの皆さんもそうでしょ」

そして
「わが子のことは私が一番知ってる、と思わない方がいいんじゃないかしら。どんなに仲良しでも」 とも。

わが子の豊かな顔は、豊かな出逢いで生まれ育つんじゃないかなと。

いろんな人との交わりのなかで、
本人も気がつかないうちに、自分の中の何がが引き出される。

わが子の中に、まだまだ出逢っていないわが子がいる……!?

なんか愉快。


「皆さんが持ち寄ってくださった布で作りました」
チェリヴァ公演 UNNANアートスタート実行委員会 石田敬子作

2019年10月8日火曜日

夏が終わり涼しくなると、いつも心が痛むこと



夏が終わり涼しくなると、胸がチクチク痛みます。
あぁあと心底後悔するのです。
いつも表向きには、人生反省はするが後悔はしない、などと豪語している私なのですが。

涼しくなった頃に、まるで夏の疲れがどっと溢れ出たように、保育園っ子の我が息子は「とびひ」になるのです。
3、4年続いたでしょうか。
 当然保育園はお休みしなければなりません。
私は代替えがききにくい仕事をしていましたから、本当に困ってしまいました。
親は二人。夫はあてにならないし、親戚は遠いし、近所のどなたかに預かっていただこうにも、その方にもお子さんがいるとうつってしまうし……。
オロオロうろうろ。

そんなときに「病児保育」という言葉に行き当たりました。
息子の保育園にもそんな部屋があればいいなあ。
病院で短期入院というのはどうだろう。
こんな思いをしているのはたぶん私だけじゃない。仲間を募り、「病気の子どもを預かってくれるシステムを作ってください」そう保育園や行政にお願いしたらどうだろうか。
本気で考えました。

けれど小さい人が大きくなるのは思いの外早いものです。

そのつど、親切な友人知人に助けられ、結局、行動に移す前に息子は卒園し、「とびひ」を患うこともなくなり、
現金なことに「病児保育」への私の関心も薄れてしまいました。


けれど今になってざわざわと心が痛むのです。
正確に言えば、
大事なことにやっと気がついた、というところでしょうか。

「病児保育」への要求は、「仕事を休めない親」の切実な思いから始まっていましたが、「もう一人の当事者」の息子の気持ちには、思いが至ってなかった。
病気をしているときくらい、せめて親に、そばにいて欲しいと願っていたのじゃないかしら、と。

いつもはいいよ、一人で頑張るよ。
だけどね、と。

そうなんだ。
もう一人の当事者は、「物言わぬひとびと=言えぬひとびと」だった!
「病児保育」は、 一歩間違えば、大人本位の、子ども不在の取り組みになりかねない。

私が要求すべきは、病気とりわけ伝染性の病気を患ったときは、親のどちらかが休めるという、親の働き方見直しだったのではないかと悔やむのです。
子育ての時間と経済と身分の保障。
子どもが病気のときには「子どもにとって一番よいやり方」を選べる、そんな世の中になるよう動くべきだった。

子どもをさずかるその時期は、親にとっても仕事に邁進したい、邁進出来る時期でもあって、私なども仕事大好き、仕事一番人間の一人でした。
しかし、大事なことは小さな息子にとっても、人生の根っこを作る一番大事な時期だった! ということ。
親の方も子育て期は、長い人生の中のほんのいっときの出来事なのだということ。

よその国では女性の首相が産休をとったり、議会に子連れで出席したり、議長が抱っこしながら議会を進めたり。
「私の子ども」から「私達の子どもたち」に。
周りの大人たちみんなが、次世代を育んでいるのだと懐を広げ、具体的に支え合うことが形になってきている国もある。

 私の息子も6ヶ月の育休がとれたり、ずいぶん子育ても社会化し進化してきました。
この国だってやれば出来る!

子育てが終わったから気づけたこと。
婆ちゃんと呼ばれるようになったから解ったことを胸に抱いて、さあ、後悔を反省にかえてもうひとがんばりしましょうか。




[
「昼は夏なのに、夕凪は秋だよ」
写真とことば 松山マキ








2019年5月15日水曜日

「おおめにみてくださいな」

   
「何でけんかするの!せっかくみんなでお芝居楽しんできたのに」

親子で観劇の後。
帰り道や帰宅してから、些細なことでけんかが始まったりする。

「さっきは芝居観ながら泣いたり笑ったり。
ああうちの子も、他人の痛みや悲しみや喜びがわかるようになってきたんだなって、ママは、そのことに感動してたのに……。
お金と時間をかけて観るほどのことはなかったかしら」

などと、お母さん、嘆き悲しまないで。

普段ならもめないようなことでもめてしまうのは、
彼らの目が、耳が、心が、感じやすく、かしこくなっている、耕されて柔らかくなっている、
同時に傷つきやすくなっているということなのでは?

いつもなら聞き逃せることが聞き逃せない。
目につく。気に障る。そしてぶっつかる。
芝居なんか観たから!

それは、ほんとは素敵なことなんじゃないのかな。

芝居を観て、登場人物に心を寄せ、自分とおんなじだと思ったり、自分ならそうはしないな、と突き放したり。
わくわくしたりゆらゆらしたりざわついたり。
なかなか言葉にできない心持ち。

それは、とても幸せな気分や穏やかな心持ちの時もあるけれど。
同時にある意味、安心の反対側、ある意味穏やかの真反対の心持ちになることでもあるのではないかしら。
どーんと心に届き、心が動くのですからね。
本人ももて余していたりする。

でもいいんじゃないかなあ、こういうの。
ゆらゆら万歳。
利口な人生より、耳聡く目明るき人生を生きたいと私は願う。
けんかは、素朴なコミュニケーション。
揺れや荒れのまんまでぶっつけられる相手がいるということも素敵。

吸ったら吐きたくなるものです。

けんかは、心が動いた結果だと、
人間への関心と、表現への入り口だと、
おおめにみてくださいな。

平穏無事の、のっぺらぼうの人生よりも、よっぽど愉快だと、私は思うの。



「芝居の後(あと)・先(さき)」。波風たつのも、素敵なこと!

 
 
ひぽぽたあむはどこへでも出かけます
 
<夏のフェスティバル公演参加日程>

 

7月24日 りっか・りっか★フェスタ 宜野座ガラマンホール「かえるくん・かえるくん」

 7月25・26日 りっか・りっか★フェスタ 那覇市緑化センター「かえるくん・かえるくん」

8月2日 飯田人形劇フェスタ 飯田市文化会館「チップとチョコ」

8月4日 喜多方発21世紀シアター 喜多方プラザ「ハリネズミと雪の花」

 8月5日 喜多方発21世紀シアター 山都保健センター「ハリネズミと雪の花」

8月25日  ルネこだいら夏休みフェスタ  ルネこだいら「ふたりのお話」


 


2018年11月15日木曜日

★お知らせです!

これは英国の森に暮らす暮らす小さな動物たちの物語

リスのスキレルと、野ウサギのヘアと共に
森のはずれの小さな家に暮らす灰色うさぎのグレイ・ラビット。

森には暮らしに必要なものが
全てあるけれど、
恐ろしいイタチや
獲物を探すフクロウもいて
油断できません。

危険をはらんだ日常を
生きる知恵と力は
どこで生まれ育まれるのでしょう。
片手遣いの人形達が静かに問いかけます。

美術もシンプルで美しい、ほっと心が温かくなるお話です。

永野むつみ主宰の劇団ひぽぽたあむによる人形劇をぜひ一度ご鑑賞ください!




「スキレルとヘアとグレイ・ラビット」


原作/アリソン・アトリー  
翻訳/石井桃子・中川李枝子 「グレイ・ラビットのおはなし」岩波少年文庫刊
脚色・演出/山根裕子  美術/山根恵子  音楽/足立裕子  照明/丸山昌彦
出演/永野むつみ、松原由利子、大沢直、海老原卓治
 
 
11月23日(金・祝) 14:00開演(開場13:45)       公演時間60分
主催     一般社団法人全国専門人形劇団協議会
一年一組 
芸能花伝舎 東京都新宿区西新宿 6-12-30     芸能花伝舎 2-4   📞 03-5909-3072    
おとな・こども共通……………… 前売り1,500円 当日2,000円
    おやこ券(中高生以下との2人1組)…前売りのみ2,500円

お問合せはこちらへ
 
人形劇団 ひぽぽたあむ
〒 183-0016   東京都府中市八幡町 2-19-6 オークヒルズ府中 303
Tel 042-369-1246   Fax 042-369-0644
E-mail   hipopo@io.ocn.ne.jp
URL   http:// hipopotaamu.com

2018年9月21日金曜日

もの言う秋

「本日は私が司会をさせていただきます」
と、
見覚えのある女性のご挨拶を受けました。

その日は、
親と子が、生の舞台を観ながら、地域のみんなで育ち合おうという団体での講演会。

「前にお目にかかった時に、傲慢ですと言われた者です」
とも。
あらあら、私はなんとひどいことを申し上げたのでしょうと反省しつつ、
はたと思い出しました。

前回お目にかかった時に、
「しゃべるのが苦手なんです」
と何度も何度もおっしゃった方です。

「一言で全部、完璧に言いたいと思っているからじゃないの? 
そういうのを傲慢て言うのよ」
と。
そうそう、確かにそう申し上げた。

「司会としてどんなことをお話すればいいですか、私しゃべるのが苦手なんです」
と、今回もまた。

「あなたしか話せないことをぜひ」
と私。
「ひえーっ。私、朝からもう緊張して、手を洗ったその手洗い石鹸で顔まで洗っちゃったりして。もうヒリヒリ……」

「その話をそのまんましたら?」
「彼女は、今日はお誘いした方もおいでになるから余計に緊張してるのよね」
と仲間が助太刀。
「ならいっそう、その話をなさいませよ」
と私。
「その方が新しくおみえになった方も安心するわよ」
とさらに追い討ち。

「ひえーっ。」
と本日の司会者さんは叫びましたが……、
本当にそのお話だけをなさって、
「それではむつみさんお願いします」
と。
見事にさっぱりした、素敵な始まりのご挨拶でした。

口下手だと思っている皆さんに一言。

思っていることを全部、きちんと言おうと思わないこと。
そんなことできっこない。

それより自分しか話せないこと、自分が直に見たり聞いたりして自分が感じたことを、
その事だけを、自分の言葉で話す。

自分の見た景色だから、あくまで部分でしかないけれど、
でも「私には」こう見えました、こう聞こえました、こう感じました。
なら言えるはず。
「私は」「私には」をつければ大丈夫。
まずひとこと話して、足りないなと感じたらまたふたことめを足せばいい。

自分の見ている景色は「部分」なんだという自覚が、
個人的な話に、広がりと深さを与えてくれるんじゃないかしら。

想う存分しゃべりあいましょう。
自分からしゃべらないと相手には伝わらない。

それとも秋は口を閉じて、観ることや聴くことにせいをだしますか。 もの想う秋です。



秋は講演会にお招きいただくことが増えます。
人形劇の公演が増えるからでしょう。

小さな人と一緒に観る前に、大人には
「小さな人が観ること」についてのお話を
聞いていただいた方がよい場合が多いからです





【人形劇団ひぽぽたあむ公演のお知らせ】
「スキレルとヘアとグレイ・ラビット」(写真)
11月23日(金)祝 14時開演
パペットシアター1年1組in西新宿芸能花伝舎
http://www.zenninkyo.jp/hipopo.html





 

2018年7月15日日曜日

「ねえ、お母さん聞いて」

「お母さんは質問するけど答えのいらない人なんだね」
ある時、背中の方から声がしました。

どきっ。

「今日はどうだった?」
保育園から帰った息子に、私はたいてい、そう声をかけました。
洗濯物を取り込みながら。あるいはスーパーで買ってきたものを冷蔵庫に放り込みながら。あるいは郵便物を仕分けしながら。
あるいは、あるいは……。


そうなんです。
働く母は、帰宅したとたん家事が山積み。
けれど、保育園から一緒に帰宅した息子とも交わりたい! これも本心なのです。
で、何かしながらの質問になるわけです。
「今日はどうだった?」

息子は懸命に、何か話していたのでしょうね、私の背中に。
なのに母は、これが終わると次、これが終わると次、と、いっこうに自分を見てくれない。
多分、「へええ」とか、「そうなんだぁ」という母の相づちも、どこか虚ろだったんでしょうね。

そしてついに、一言
「母さんは質問はするけど答えのいらない人なんだね」
と!
「あああ、ごめんねっ」

その息子は三ヶ月前に、自身がパパになりましたが、私としては未だに忘れられない、息子からの、ぐさり心に刺さる一言でした。

孫も生まれて本物のおばあちゃんになった今、心から思うのです。
何であのとき、手を休め、振り向き、向かい合って、 「今日はどうだった?」 と聴いてやれなかったのか、と。
何をそんなに急いでいたのかしら、と。

そして思うのです。
多分、息子は、薄情な母なのに、私との交わりを諦めなかった。
「ボクの話を聴いて」
そして、多分、息子は、私が何をしていたのかを、私の背中越しに見ていたから、それが自分の暮らしに関わることだから、それが解るから許してくれていたのではないか。薄情さを受け入れてくれていたのではないかしら、と。

母は洗濯物を、買い物したものを、郵便物を片づけ、ご飯作りを、していた。
彼にも解る「必要なこと」をしていた。

けれど、これが、スマホだったらどうなんだろう。

「ボクの話を聴いて」
「ボクを見て」

話しかけても、呼び掛けても、母の目が、母の関心が、四角くて小さい「何か」に向けられていて、側にいるのに、なんだか遠い。

「ボクより大事なものってなに?」
納得できない。
なんだかわからないものとの闘いが強いられている。
これが常になってしまったら、交わりなんてこんなものさと馴染んでしまったら……。

老婆心でしょうか(かもしれませんが)、心配なのです。

「ボクを見て」
「ボクの話を聴いて」

自分の事を誰かに、じかに話すってことは愉しいってこと、じかに交わる愉しさを、たくさん、繰り返し体験するって大事なことなんじゃないかしら。

小さな人たちの強い想いが確かなうちに、諦めないうちに。

まずはお母さんやお父さんとね。
できればスマホと出会う前に。


人形劇団ひぽぽたあむ公演
こどもと舞台大博覧会
オリンピック記念センター、カルチャー棟練習室43
7月31日 15時開演
ひとり1000円
申し込み ☎042-369-1246 ひぽぼたあむ
 
いぬくんとねこくん。
ふたりのやりとりが楽しい
ひぽぽたあむの人形劇。
 

2018年5月24日木曜日

初めての保護者会

4月5月。
新年度の始まりと連休。
お子さんも親御さんもお元気でお過ごしですか。

この季節になると決まって思い出すことがあります。

初めての息子の、初めての小学校入学、初めての保護者会。
何もかにも珍しく、息子の机と椅子に座り、担任の先生を見つめました。
初めての息子の初めての出来事は、そっくりそのままで母にとっても初めての出来事なわけです。

「自己紹介を兼ねてご自身のお名前と、お子さんの良い所と悪い所をおっしゃってください」
と先生。
列の一番前から順番に立ち上がって「自己と我が子紹介」が始まりました。
最初の方が自信に満ちて、「うちの子は、勉強は苦手かもしれませんが、幼稚園時代から友達の多い子です」とおっしゃったせいでしょうか、たいていの方が似たり寄ったりの紹介をなさいました。
さて私の番になりました。
私はとても困ってしまいました。何を話したらいいのか。
そこで心のままに申し上げることにしました。

「私は我が子のことが良く解りません」

そう言ったとたん教室の風の流れが変わったような気がしました。
「私にとって、ここがこの子の良いところだなあ、と思えるところは、他の見方をすると弱点ともいえるし、弱点かなと思うところがこの子の魅力でもあるし、とかとか。良い所と悪い所が重なりあって良く解らないのですよね」
と。
よろしくお願いします! とにっこりして座りましたが
「あれ、なんか私、変なこと言ってしまったかな」
と、ひとり浮いてしまったような、居心地の悪さを感じたことを覚えています。

そして驚いたのは帰宅してから。なんと3人もの方からお電話をいただいたのです。
「何かお悩みなのね」とか「ご相談事があったらいつでも」とか。ご自身の信仰している宗教へのお誘いでもありました。
迷える母親、気の毒な母親と受け止めて手を差し伸べてくださったのでしょうね。

でも大丈夫。
その時も、30数年たった今でも、やっぱり長所は見方によって短所にもなるし、短所は長所と言えないまでも魅力の一つになっていることもあるのではと思っています。

そして何よりも親が、我が子のことを一番よく知っているとは限らないのではないかしらとも。
親が知っている我が子は、親と一緒にいるときの我が子の姿以上でも以下でもないのだということ。親こそがすべてを知っているわけではないということ。

我が子も私たち大人と同じように、他の場面では全く違う顔で、もしかして「別人」のように生きているかもしれないということ。

長所や短所と言いますか、「個性」は固定したものではなくて、関係によって引き出されるものだということ。
もっと言えば本人でさえ気が付いていない「自分」がいる!

だからこそ、我が子にも、家だけではない、学校も含めての「もう一つの場」(それも複数で!)があることは素敵なことです。
いろんな人や出来事に出逢いながらいろんな「自分」に出逢っているのですから。

親が我が子のすべてを知ることはできないし、それでよいのだと思うのですが、いかがですか。




前夜の名残り。

ひぽぽたあむ公演「かえるくんかえるくん」
大東おやこ劇場さんが作ってくださった公演ポスター。



2018年2月13日火曜日

小さくて大きな人たちに会いに来て

幕の後ろからですが、小さな人たちと出会っていると、彼らの大きさに目を(耳を)見張ることがたびたびあります。
例えば今回は、人形劇団ひぽぽたあむの人形劇「チップとチョコ」(三本だて)の一本目の「おでかけ」でのエピソードを。
原作はどい・かやさんの同題の絵本(文溪堂刊)。しっかり者の妹と心優しい兄ちゃんのお話です。

おばあちゃんが兄妹に襟巻きを編んでくれました。
兄には黄色、妹には赤です。
お兄さんが「ボクの大好きな卵焼きの色だ」と言いながら巻いてしまうものですから、
もめごとが始まります。
妹は「私も黄色がいい!取り替えて」と。 でも兄は「チョコのは可愛い苺の色だよ」と。
なんとかおさめて二人でおばあちゃん家に見せにいくことにしました。
ところが途中で、黄色い小鳥に出会ったり、赤いリンゴを担いだイノシシに出会ったり。
そのつど妹は「やっぱり黄色が」、「やっぱり赤が」と取り替えっこを要求。
大泣きしたり、もう行かない、とか言いながらね。
しぶしぶ取り替えてあげる兄。
やっとこおばあちゃん家に着いたら、なんと幸か不幸かお庭に黄色い花が!
当然二人は黄色を取り合いっこに。
そこへおばあさんが登場し……。

 さて、皆さんならこのもめ事にどう落とし前をつけますか。

チップとチョコのおばあちゃんは、小さな二人におやつをすすめ、その間に襟巻き二本ほどいて、しましまに編み変えちゃうのです。

皆様いかがですか!?

妹は「これで、小鳥ともリンゴともお花ともおんなじだね」と喜びますが、
演じている私たちは、「え、おばあちゃん、二人に相談もなく勝手にやっちゃって良いの?」とドキドキします。
もちろん、さすが年配者の知恵だな、と感心もしますが。

客席の皆さんはどうかしらと耳をすますと、
つるつるつると襟巻きをほどき、玉にし、編み変えるおばあちゃんの仕事っぷりに見とれ、「上手!」と声までかけてくれる人もいて。
少なくともたいていの観客は、おばあちゃんのしたことを受け入れ、ほっとしてくれているようなのです。

ですから、兄のチップも「おばあちゃんありがとう」と言います。
世論に支えられてね。

そうなんです。
私が驚くのはここです。
「おばあちゃんが一生懸命編んでくれたのだからいいかあ」と受け入れてくれているんだ! と。

このドラマは小さな人たちを大人たちが見守っているだけではなくて、
大人たちを(!)小さな人たちが見守っているドラマでもあるんだ、と改めて感動する次第。

あらすじめいたことも書いてしまいましたが、観ると聞く(読む)とは大違い。
舞台と、優れた小さな観客を観に是非劇場へおでかけください。


昨年柏崎子ども劇場さんでの公演の時に
作っていただいた「チップとチョコ」の看板。

 


◆劇団ひぽぽたあむ公演のお知らせ◆
こいぬの兄妹チップとチョコ

2018年2月25日 13:00
ASIA TYA Festival in Japan 2018 参加
「チップとチョコ」
会場: 国立オリンピック記念青少年総合センター

お申し込みはカンフェティ0120‐240‐540まで



2018年3月18日 11:15
ふれあいこどもまつり 参加
「チップとチョコ」
会場: 文京シビックホール

お申し込みは劇団ひぽぽたあむ☎042‐369‐1246まで





 



2017年12月30日土曜日

生まれて初めて

「今日初めて講演会の司会をやらせていただきます○○です。上手にやれるかどうかわかりませんがよろしくお願いします」
講演会にお招きいただくと、こんな挨拶を受けることがよくあります。そして「講師のご紹介はどんな風に?」と。
私はとたんに嬉しくなって、「あなたにしかできないご挨拶をぜひ」と申し上げます。
たいてい、「私事ですが……」と、なぜ私を講演会に呼ぶことになったかのいきさつやら、自分の期待感も混ぜ込んだ「その人ならでは」のご挨拶をしてくださいます。

こんなふうに私たち大人は、自分の「生まれて初めて」経験には寛容です。ドキドキ感も言葉にできます。
しかし小さい人にはどうだろう。
なぜできない! どうしてできない! と頭ごなしに叱ったりしてないかしら。

もしかすると、彼や彼女が今立ち向かっていることは、
「生まれて初めて」のことかもしれない……‼ 

自分の想いを言葉にできたら「生まれて初めてなんだよ」って言いたいときがたくさんあるんじゃないのかな。
何も言わなくても、小さな人たちは果敢に「生まれて初めて」に立ち向かっているんだなあ。
立派だなあ。素敵だなあ。

例えば3歳児は、おなかの中にいる時をいれてもまだ3+α年しか生きていない。
小さな人たちにとっては毎日が「生まれて初めて」三昧。
今日の体験が明日の手本、基準となる。
濃い!
重い!
深い!
体験・経験・知識の蓄積の量はとうてい大人にはかなわない。でも比重が違う。

私などは「ついこの間」と申し上げてもそれは5年ほど前の話だったりする。
一年一年の過ぎるのが早くて早くて。

考えてみますと私の今日の一日は(365×67)のうちの1日。
3歳児さんは(365×3)のうちの1日!
分母の大きさが違う。
一日の値打ちが違うんだなあ。

私は今でも大人になるまでの沢山の「初めての日」を覚えています。
「3階建ての木造の旅館に泊った日」も
「学芸会でにわとりを演った日」も
「腋毛を脱毛してもらった日」も
「兄と汽車に乗って二人だけで親戚のうちに行った日」も
「誕生日のケーキが無くて店にある缶詰の中から好きなものを何でも食べていいよって言われた日」も
「ソフトクリームを初めて食べた日」でさえも!
書ききれないほどの「初めて」を覚えています。

どうぞ、小さな人たちの毎日がいろんな「初めての事」に満ちあふれ、
できれば、喜びと愉快な「とき」を、じっくりゆっくりたくさん持つことができますようにと祈るばかりです。

良いお年を!
<明日は私の生まれて初めての68回目の誕生日という日に>

「チップとチョコ」の一場面から
イチゴのパンプディング。

【公演のお知らせ】
「チップとチョコ」アジアTYA フェステバル ジャパン公演
日時:2月25日(日)13時開演
会場:国立オリンピック記念センターカルチャー棟中練習室41
 

2017年10月31日火曜日

言葉探しの旅に出ませんか

「一生もんの人形をつくろう」ワークを我が家でやっています。
朝の9時から夜の9時までひたすら手縫いします。これがなかなか愉快です。

頭(かしら)の部分から縫い始めますが、当然、仕事の早い人とゆっくりな人がいます。
仕事の早い人に合わせて、
「さあ、次の仕事=ボディの縫い方を説明します」
と私。
まだ頭が終わっていない人は「えっ、もう?」という顔をしますが、
気づかない振りをして、「さあ、一旦手を止めてご覧になって」と。

「へえ」とか、「そうなんだあ」とか、相づちをうちながら皆さん真顔。
真剣に聴いてくださる。
 全員注視の中、ひと通り説明。
終わると皆さん再びそれぞれの仕事に戻ります。

しばらくすると、やっと頭が縫い終わった人が突然こう言います。
「ボディはどう縫うんですか?」あるいは「次はどこを縫うんですかあ?」

「ひえっ。先ほど説明しましたよね」の言葉を飲み込んで、
「ボディですよ」
と私。
「へええ」「そうなんだあ」
まるで初めて聴くようなそぶり。のどか。屈託がない。

そうなんです。
自分が直面しない限り、あらかじめの説明なんぞ、見てるようで見てない、聴いているようで聴いていない。筒抜け状態。
もちろん悪意なんぞはない。
結果として、三人参加者がいれば三回。十人いれば十回説明をすることになる。
丁寧に、初めて語るように語る。それが仕事だからね。

どうやら人は、その場その時にならないと、見ても聴いても、頭に残らないことが多いらしい。
ひとつ終わって、さあ次っ、と思った時に、あれ、これなに? と。
やっと「わがこと」になる。
直面したときに初めて目が開き耳が通る。

小さい人たちも同じではないのかしら。

「さっき言ったでしょ!」
「何度言ったらわかるの!」
昔からしつけは、し続けること、とよく言われますが、回数ではなくて、どうも、言うタイミングがありそうです。
関心がそこにないときは、無駄とは言わないまでも、届いていないことが多いのでは?

歩き出したとたんの「転ぶよ」(まだ転んでないでしょ)
スプーンを持ったとたんの「こぼさないでね」(まだ食べてもいないってば)等など。
むしろ、よかれと思っての、前もっての忠告は、
小さいひとのためと言うより、大人の独りよがり?! というか、精神安定剤?

――なにか言いたい。
――だったら、忠告じゃなくてもいいよね。
「気持ちいいね」とか
「おいしいかな」とか。

指図、命令、忠告じゃない言葉。 探してみませんか。
指図、命令、忠告は「ここだっ」ってときにとっておいて。
小さな人たちはもちろん、大人たちも楽しい気分になるんじゃないかな。

どうかしら。

ちなみに 「一生もんの人形をつくろう」ワークは、
途中で私の作った粗末な昼食をとり、出来上がったらお誕生会をします。
もちろんその日生まれ出た人形たちのね。

なぜか、人形を作っていたのに長い旅に出掛けていたような気分になるから不思議。



「一生もんの人形をつくろう」ワークショップの締めくくりは
人形のお誕生会
〈ケーキは井澤智子さん・伊東しのぶさん作〉

2017年10月15日日曜日

おしゃべりな背中

 
「ひぽぽたあむの人形劇は、台詞なしのシーンから始まることが多いですね」
のご指摘を受けて、
あらほんとだ、と気がつきました。

『ハリネズミと雪の花』
は、始まったとたんに、ハリネズミではなく、くまくんが、舞台を行ったり来たり。
しばらくして
「あ、木(薪)運んでるんだ」
と誰かがつぶやく。

『かえるくん・かえるくん』
ではベッドから降りて支度して、うがいして、顔を洗って、ご飯食べて、
やっと
「昨日野うさぎくんがね」
と話し出す。

『スキレルとヘアとグレイ・ラビット』
にいたっては、
ご覧くださった小さな観客に
「今日の人形劇は、なかなか始まらなかったねえ」
と言われる始末。

弦楽器四本の美しい音楽で幕が開くと、朝。
目覚めた灰色ウサギが登場するも、水を汲んだり沸かしたり、掃除したり。
クロスを広げ、皿を並べ、テーブルセッティングを終えてからやっと、
一緒に住んでる大ウサギとリスに
「ご飯だよ」
と声をかける。

でも、私はこの台詞のないシーンが大好きで、大事だと思っています。

小さな人たちは無言の、説明なしの、観ていないとわからない
「ただ観るしかないシーン」から、
これから始まるお芝居の特徴や、創り手の伝えたいことの根っこを掴んでしまうようです。

そう言えば
大正生まれの私の親たちは、 黙って良く働いて、
口から出る言葉ではない、体や行いでいろんなことを語っていたなあ。
子どもながらにも、小さな私はそれを感じてた。
もしかすると、
それと似ているのかもしれないな。

小さな人たちは実に良く観ています。
観て、分かってもいるようです。

ちなみに私は
「今日の人形劇はなかなか始まらなかったね」と言った少年には
「あなたのお母さんも、あなたが起きる前にあんなことしてるんじゃないのかしら」
と言いました。 すると
「あっ、そうか」
と。

小さな人たちは、言葉より語るものを受けとめる力にたけた人たちのようです。
ですから、
私たち大人の、弱さも醜さもふくめてもうバレバレ。
それでもお母さん!と愛してくれる!
もはや、伸びやかに精一杯誠実に生きるしかありません❤

まずは
主権在民の証としての選挙に参りましょう。
これも未来を決める大人としての大事な行いですもの。



『ハリネズミと雪の花』のくまくんとハリネズミくん


★厚生省中央児童福祉審議会推薦'91
明日は新年の前のお祝いの日。 くまくんは高熱を出してしまいます。
病気を治すことができるのは「たのし草の花」だけと聞き
親友のハリネズミは雪の森へ飛び出しますが…。
『ハリネズミと雪の花』
 
1年1組パペットシアター(西新宿芸能花伝舎)

2017年9月24日日曜日

心が柔らかくなるとき

「いい舞台観てきたのに喧嘩? もう、あんたたちときたらぁ」
なんて叱ったことことありませんか。

そうなんですよね。
身を乗り出して舞台を観て、笑ったり、泣いたり。
しんみりしたり。
「ママ、おもしろかったあ」
などと。
「あああ、我が子も大きくなったな、あんなに楽しんでいた。
子連れ移動で大変だったけれど、
やっぱり生の舞台を観に行ってよかった、うんうん」

そう思った矢先に、
突然始まる兄弟姉妹(夫婦も?)喧嘩。

「んもう。安くないのよあの舞台。テレビならただだけど」

でも、どうぞがっかりなさらないで。

もとより、生の舞台に触れたからって、
我が子が急に〈良い子〉になるなんて、どなたも期待していないとは思いますが。

それでも、今夜一晩くらいは、
ハリネズミの控えめな優しさとか、かえるくんのお茶目な友情とかに包まれて、
劇中歌なんか口ずさみ、
みんな仲良く「今日はいい日だったね」と
健やかな眠りにつけるはずじゃなかったの!
と、いつもの喧嘩より腹立たしいのですよね。

でも私は思うのです。
それは心がいつもより柔らかくなっているからではないかしら、と。

だから、
普段なら見逃すところで心が反応する。
些細なことが見逃せない。
反応しやすくなっている、
ってことじゃないのかなぁ。

生の舞台に触れたことで、
今持っている言葉では言い表せない、新しい何かが心に生まれたんだ。
ゆらゆらしているんだと。
むしろ戸惑っているんだ、と。

だからそんな夜は、
何やってんの! と叱り飛ばすのではなくて、
ぎゅっと抱き止めてあげてほしい。
こんな夜もあるさ、と。

私もときどき心がゆさゆさします。
そんな日はぎゅってしてほしい。

もしかしておかあさん、あなたも?


病気のくまくんを助けるため、親友のハリネズミくんは
雪の森に「楽し草の花」を探しに行きますが……
人形劇団ひぽぽたあむの名作「ハリネズミと雪の花」
島根県松江市にて11月3日、4日公演予定
※お問い合わせはこちらへ

「とくべつ」を探しに行くかえるくんのお話と
森の中で新しい友だちと出会うお話
「かえるくん・かえるくん」
島根県松江市にて11月4日、5日公演予定
※お問い合わせはこちらへ
 

2017年9月4日月曜日

苦手克服法


少し前のホテルでのことです。
朝御飯を済ませて部屋へ戻るとなんと、
ブラウスが裏返しだったことに気がつきました。
呆けがはじまったかな。
いえまあ総レースでしたから、どなたも気がついていなかったかも知れない……、そう自分を慰めましたけれどね。

元々うっかり屋の私ですが、歳を重ねると、こういう失敗がますます増えてきました。

そうだ!
と、突然大発見。
「脱いだとき、その都度表に返しておけばいいのよ」

二人の姉と三人の兄がいた末っ子の私は、身辺の始末がなにかとだらしない。
脱いだら脱ぎっぱなし、使ったら使いっぱなし。
片付け能力未発達のまま、多忙さにかまけて、日々を過ごして来たようなところがあります。
小さな息子たちと並んで、よく夫に叱られていましたもの。

「片付けじゃないの、次の準備。そう思えばいいんだあ」

この大発見は、生活のいろんな場面に波及しました。

ハサミは元の引き出しに、イヤリングは小物入れに、と、それぞれがそれぞれの位置に在るように、戻しておこう。
と、思えるようになり、そうできることが増えてきました。
でないと、なにか始めるときに、「あれはどこへいったかな」と、まずは物捜しから、ということに、ますますなっていきますからね。

在るべきところに在るべき物があるって気持ちいい!

やや遅咲きですが、その気持ちよさを求めて、近頃「片付け」もずいぶんできるようになりました。

で、 散らかしっぱなしの我が子と格闘中の皆様に朗報?! です。

大丈夫。
大人になってからでも人は変われる、育つ、ようです。

自分の力で。
少しずつですがね。
必要に迫られれば。


頭はひとつしかないのにね




使われない物にも出番を作ってあげましょ